祖父の司さんがはじめた「電気・部品販売、手堀の井戸工事業」から父の昌弘さんに次ぐ3代目になる明野佳行さんは高校卒業後、会社勤めから約8年間の辛くも楽しい修行期間を経て、現在にいたります。
昌弘さんの元で働き出し、約2年経つころから仕事をまかされるようなりました。その頃から、昌弘さんに代わって、民商に顔を出すようになりました。
当初「民商って、なんだ?」と思いながら顔を出していましたが、01年日本平和大会・沖縄に参加して「こんな活動があったのか」と驚き、本格的に民商青年部の活動をはじめました。
そうしたなかで、仕事の幅も広がりはじめ「民商の活動で名を売ることが、商売につながる」と確信を持っています。最近は、仕事の量も減少ぎみ、なんらかの手を打って商売の幅を広げようと、チラシを折り込んだりの営業活動も欠かせません。
仕事をしていて自分のミスは、許せません。部品がたった1個足りない。それだけでも、はずかしく、情けないと反省することも。また、「ここに配管して」と頼まれても、(構造的に)できないと、仕事を『否定』することがなによりもつらいと語る佳行さん。
どんなにきつい仕事をしていても、お客さんの「ありがとう」で疲れが吹っ飛びます。それがあるから、「仕事を続けることができる。お客さんがあって、仕事があって、自分の生活がある」と、電話があれば、「早く行って、(水漏れなどを)解決してあげたい」と、眠い目をこすりながらでかけることもしばしば。
「来年くらいに、代替わりをしたい」と思いながら仕事を続けています。