1955年に豊前市から、就職するために小倉にでてきた松浦さんは、職安を通じて、今の場所でクリーニング店を営んでいた親方の所に「手に職を」と、住み込みで働き始めました。
3年後の58年にクリーニング師の資格を取り、その後も親方のもと、技術の習得に励みました。修行はとても厳しく、成人式にも出席でませんでしたが、友人が届けてくれた成人式の記念品の「印鑑」は今も大切にしています。
その後、親方が別の仕事を始めるからと、店を引き継ぎ、独立しました。慣れ親しんだ土地での営業は、以前からのお得意さまも多く、忙しすぎるほどでした。高度成長時代には、ドライクリーニングの機械も入れ、技術的にも日々、努力を重ねました。
しかし、各店にも機械が入り、また、大手の参入による取次店の増加などで、単価の値崩れが起こり、仕事の取り合いにもなりました。新しいマンションにチラシを入るなど、営業にも工夫をしましたが、なかなか成果が現れず、結局、昔からのお客さんの口コミが1番だとわかりました。
昔から、町内会や商業振興会の役員をして、地域の人たちとともに暮らしてきました。最近は、たくさんいた子供たちも大きくなり、だんだんと地域の高齢化が進んできたため、松浦さんは、お客さんを訪問する曜日や時間を決め、「何でも気安く声をかけてください」と、ちょっとした買い物や重いものを運んだりしています。また、一人暮らしのお年寄りのところで一緒にお弁当を食べ、話し相手になっています。
「商売は、辛抱と、お客さんとの信頼関係。お客さんの要望にはできるだけ応える」と、言い切る松浦さんは、お客さんから「あんまり無理しないで、ずっと商売を続けてね!」と、言う言葉を励みに今日もがんばっています。