1970年に父親の光森さんが、タイヤ屋を今の場所に開業し当時は、車といえば商用で、修理がメインの商売でした。しかし、車はだんだん道具というより、趣味的要素が強くなり、商用から自家用へと変わってきました。そのころ、家業を手伝うようになり、メーカーからの「修理から販売へ」の講習会などへの参加は斉さんの仕事になりました。
76年に全面的に改装、修理工場からショップへと変身しました。まだ、大型店もなく、若い人からお年寄りまで幅広い客層をつかんでいました。
その後、大型店が進出してきても、こちらは後フォローをきちんとしたので、それほどの脅威には感じませんでした。それより、その後の規制緩和で、どこでも取り扱えるようになったため、ディーラー、通販、今ではインターネットまで進出してきて、値段が安くなったことや、自分のところで取り扱っていない商品でも取り付けや修理をいってくるので、どんな物でも扱えないといけない事の方が大変です。しかし、タイヤが命を預かっている一番大切な物なのに、一般的にはそういう認識が少なく、「たかがタイヤ、されどタイヤ」ということを基本にやっています。
30代から45歳までの地元の有志が集まっての経営の勉強会なども積極的に参加してきて、今は民商の「商売を語ろう会」で、がんばっています。
「この景気の悪い中でも生きのびる道はあると思うし、単に物を売るというのでなく、自分と接してもらい、この仕事を楽しんでやっているということなどを話す中で、お客さんと通じる物があって、そこからまた商売が見えてくると信じて、これからも楽しく商売をやっていきたい」と、語る斉さんです。